公共交通の赤字の意味と大切さ

 

堀達哉(千葉大学、岐阜未来研究団)

hori@mirai-design.net

 

本稿では、公共交通の事業に伴って生じる「赤字」を敵視せず、上手に折り込んで付き合って行く方法について考えたい。

 

1.収支赤字の50%は・・・

「岐阜新鉄道計画」の組み立てで印象に残っていることの一つが、鉄道業に於ける人件費とその他経費と利益と税負担の結果、支出の半分は、地元に「還元」されている、との点であった。経済波及効果の計算チームの報告にあった。同計画の場合、その経費の内容は「約60%が人件費、のこり40%がその他経費」となっていて、この中身に注目してみると、左図のようになる。

仮に、1億円の収支赤字が有ったとしても、人件費が6割を占めるとすると、そのうち、税金として還流するのが13ポイント、地元で消費されるのが38ポイントぶん、となり、残り7ポイントぶんが貯蓄等に回り、「存廃が危ぶまれる○○鉄道は、収支赤字、○億円」と表示されたとしても、少なくとも支出の5割は「地元の活性化に役立っている」と言える。

2.参入自由化による「最適化」とは何か。

参入と退出を自由化する、とした平成13年度の公共交通事業改革はわが国の諸都市が「どのような未来を目指すのか」という視点が盛り込めない不自由さがあった、と改めて思う。自由化が公共交通事業の需要と供給をバランスさせ、結果的に「地域に最適」な公共交通サービスを導く発想の、何に対する「最適」かが抜けていたように思う。

モータリゼーションから40年かけて広がった低密度、高公共投資負担社会である「いま現在」の都市構造、居住構造に対して、「いま現在」に最適化してしまいがちではないか。持続可能性を高めようとコンパクトさを目指す都市の、その将来像とは無縁な「最適化」が進む恐れはないか。

昭和40年代以降、長年にわたって右下がりで来た公共交通が、「いま」の環境に最適化されても便利なはずが無いし、事業者が儲かるはずがない。そこで路線維持、路線計画自体の最適化であり、路線計画の政策的な構築が求められる。

その後、地域交通会議制度や、さらに再生法に基づく協議制度が生まれ、関係者が協議して地域の公共交通網の持続的な維持充実の枠組みづくりが話されるようになり、その地域が「なぜ赤字を生じさせてまで、公共交通事業を維持するのか」に対する地域なりの考え確立の手段は出来たようである。ただし、まだ主体となる自治体が人的面で制度に追いつかないこともあると言う。

3.風車スキームはムリ

鉄軌道を存続した90年代の高岡、福井の2つの事例では第3セクターへの市民出資が行われ、それが存続への民意だとして好意的に評価された。しかし、いつでも市民出資が成功するか、となると一概に括れない。よく比較されるものに風車建設に対する市民出資の枠組み(以後「風車ファンド」)がある。だが風車ファンドは路面電車への市民出資とは前提が異なる。風車ファンドの場合、建設時補助と買電補助の2重の補助があるから、広く出資を受け入れる「事業」が成り立つ。

投資家がその対象に求めるのは唯一つ「どれだけ儲かるか」であり、風車ファンドはこの点が適うよう制度設計されているに過ぎぬ。あいにく公共交通はまだ投資対象にはなり得ない事業である。他に安全、確実で儲かる方法が沢山あるなら「風車が成り立つから電車も」とは一概には行かない。

風車の買電補助に相当する「利用者の運賃補助」は欠損補助とは意味が違い、独立採算の原則を破っているコミュニティバスや町営等の無料バスに近い。交通事業は独立採算が基本だとされていても無料バス等は発想が福祉事業であり、端から採算性を問題にしない訳で、やろうと思えば出来ないことはない事を示しているが、その覚悟が無ければ風車ファンド方式は無理だ。

4.イコールフッティングの意味

参入、退出の自由化に伴い必要なのが「イコールフッティング(平等な市場参入条件)」の考え方だとされる。「自社のリソース」を生かして利益が上げられるなら参入するし、諸事情で不可能になれば他の担い手に代わる仕組みに基づき、より効率的で魅力的な地域交通サービスの提供が出来る企業が担い手になるのには欠かせない基準だ。

実際には既存交通の担い手が地域経済の中で独占的地位を占めているので、その仕組みの作用には、公共側の冷静かつ公平な分析が不可欠である。

地域の側から見て持続可能な公共交通「網」をつくるため、個々の路線の健全性を確保する考え方が交通工学の分野では登場している。赤字路線を補填して収支のかさ上げをしたり、ドル箱路線から参入負担金をとる考え方である。岐阜大学の竹内伝史教授が提唱している。路線ごとの収支のバラツキを公共関与によって平準化し、路線「網」としての質を担保することで、人の流動をコントロールし、ひいては「都市の外形」を維持・充実するところに要点があり、路線ごとの持続的かつ透明な補助の制度設計は、民間の「良質で充分な投資」を引き入れる環境づくりにきっと生きる。

5.投資家から見た補助金とリスク。

上質な民間投資を図るならば、やがては補助制度が落ち着いた状況でないと、環境がガラガラと変わるようでは対象事業の善し悪しを評価できない。

また、数年で変わる補助制度のもとでは、対応できるのは結局、従来から地場で経営を続けて来て「柔軟性」をそれなりに確保している既存公共交通事業者だけだ。柔軟性は良いことだが、新規参入者であれ既存事業者であれ、それでは体力が削がれるばかりであり、結果的に利用者の離反、地域公共交通の衰退という結末が待っている。

投資回収の期間の短い純民間とは違い、公共の関与により償還期間を10年20年に設計する事は可能だが、そこで投資家がリスクを感じるようでは民間からの資金調達は難しい。政策としての補助が10年20年の期間で設計されないと民間からの良質な事業参画は起きないが、それでもなお収益とリスクとが他の投資案件と比べて不利なら投資対象にならない。結局、公関与の事業債の発行とともに、対象事業に対する補助制度の枠組みを設定し予算措置する2重のケアが不可欠だ。

まとめ.赤字部分があるからこそ。

赤字部分があるからこそ「公共」交通なのであり(3節)、そこをどう付き合うかで「公共性を更に増す」ことができる(4節)。また地域の公共交通を「事業」として魅力的なものにするにも補助金は必要なようである(5節)。また、自由経済が必ずしも善ではなく公共のコントロールが重要なのであり(2節)、赤字補填が必ずしも税金を漫然とドブに捨てる訳でもないようだ(1節)。

「赤字が出ざるを得ない紛れも無い事実」のもと持続社会を作るため、赤字にこそ積極的な意味の評価をし活用もし参入企業のコントロールの手掛かりとして、透明かつ公平、かつ政策的な誘導をすべきだと考えるのだがどうだろうか。